全盛期の徳川将軍家伝説

・養子が3代で5人は当たり前、3代で8人も
・大政奉還を頻発
・家康にとっての関ヶ原は大坂の陣の戦いそこない
・生類憐みの令も日常茶飯
・11代目将軍側室100人、男子54人出産で1人で大名家を血縁支配
・禁中並公家諸法度も余裕で天皇・公家にヒット
・一回の謁見でちょんまげが三本に見える
・市中の忍び歩きが特技
・上座に立つだけで前田氏が泣いて謝った、心臓発作を起こす島津氏も
・大政奉還でも納得いかなければ薩長征伐で戊辰戦争
・あまりに強権力すぎるから大政奉還後でも公爵扱い
・その分家(徳川慶喜家)も公爵
・大名を一睨みしただけで領地が遠方に飛んでいく
・わずか3歳の将軍でも将軍扱い
・政治を行わずに「左様せい」と言い続けたことも
・自分の鎖国令を自分で反故にして日米和親条約で蒸し返す
・方広寺の鐘銘の言いがかりなんてざら、2回交戦することも
・大政奉還で滅亡になってから貴族院議員議長に成る方が早かった
・大名に猛反対されて上知令を撤回
・武家諸法度を制定しようとした金地院崇伝と、それを受け止めようとした南光坊天海、林羅山ともども侍講にさせた
・使節のオランダ人のヤジに流暢なオランダ語で反論しながらかすてぃりゃづくり
・グッとガッツポーズしただけで5人くらい打ち首にされた
・田沼の悪政で天明の大飢饉が起きたことは有名
・戊辰戦争が激化したきっかけは慶喜の敵前逃亡
・上田の深い位置から関ヶ原の戦いは処理できなかった
・政治以外を楽々趣味にしてた
・自分の馬に飛び乗って世話になった庶民のところまで行くというファンサービス

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Last-modified: 2008-06-28 (土) 00:13:44 (3770d)